プロ野球に「沢村賞」として名前が残っている伝説の沢村栄治が、現役当時は160キロの速球を投げていたという記事が話題になっています。
プロ野球の創成期に活躍した沢村栄治(1917~1944)が、1日で生誕100年を迎える。先発投手にとって最高の栄誉である「沢村賞」に名を残し、伝説の投手と呼ばれるゆえんのひとつが快速球だ。その球速は約160キロだったと分析する専門家もいる。
1934年の日米野球。17歳の沢村は、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグら大リーグ選抜から9三振を奪い、1失点に抑えた。結果は0-1で敗れたが、米国との力の差が歴然だった時代にあって、歴史に残る試合となった。1936年には巨人のエースとして、プロ初の無安打無得点試合を達成した。
多くのプロ野球選手の動作解析を行ってきた中京大スポーツ科学部の湯浅景元教授は、巨人時代に沢村が試合で投げている映像を動作解析した。前方(捕手方向)へ水平に移動する腰の速度と腕の速度の差が大きいほど球速は上がるといい、その数値から導き出した結果は「限りなく160キロに近かった」。プロ野球で160キロ以上を記録した日本の投手は、大谷翔平(日本ハム)、由規(ヤクルト)、藤浪晋太郎(阪神)しかいない。
投手の球速と打者のスイングスピードは、ほぼ同じ速度で進化してきたという。当時の映像はほとんど見つかっておらず、湯浅教授が解析したのは一塁側から撮影したたった1球。だが、当時の大リーグの主力打者のスイングスピードが160キロ近くあったという解析結果からも、「その打者たちがきりきり舞いしてということは、『球速160キロ』は突拍子もない数値ではない」と分析する。
引用元:朝日新聞デジタル
この記事にネットではこんなコメントが書き込まれています。
「ロマンがありますね」
「160キロはちょっと無理があると思う」
「せいぜい140キロだと思う」
「金田も調べて欲しい」
「まわりと比べてその位速かったって話でしょ」
沢村栄治について
1917年2月1日生まれ、三重県宇治山田市(現・伊勢市)出身。
京都商業学校(現在の京都学園高等学校)の投手として1933年春、1934年春・夏の高校野球全国大会(当時は中等野球)に出場。1試合23奪三振を記録するなど、才能の片鱗を見せた。
1934年の夏の大会終了後に京都商業を中退(現在の高校3年生に相当する年齢)。その年の11月に開催された読売新聞社主催の日米野球の全日本チームに参戦する。
5試合に登板(4先発)したが、中でも11月20日、静岡県草薙球場で開催された試合では、7回裏にルー・ゲーリックにソロ本塁打を浴びたのみで、メジャーリーグ選抜チームを8回5安打1失点と好投した(スコアは0対1)。
これ以外の4試合では滅多打ちにあって沢村自身0勝4敗に終わったが、この年の日本選抜対メジャーリーグ選抜の試合が日本の0勝16敗に終わったため、この快投は現在でも日本で語り草となっている。
もっとも、ベーブ・ルースは、沢村を賞賛する一方で、「丁度バッターボックスに入って投手に面すると太陽の光源が真正面に見えるのでまぶしくて仕方がなかった」とコメントしている。
プロ野球リーグが開始された1936年秋に中山武とのバッテリーで史上初のノーヒットノーランを達成する。
同年12月、大阪タイガースとの最初の優勝決定戦では3連投し、巨人に初優勝をもたらした。
1937年春には24勝・防御率0.81の成績を残して、プロ野球史上初となるMVPに選出された。さらにこの年は2度目のノーヒットノーランも記録するなど、黎明期の巨人・日本プロ野球界を代表する快速球投手として名を馳せた。
徴兵によって甲種合格の現役兵として帝国陸軍に入営、1938年から満期除隊の1940年途中まで軍隊生活を送り日中戦争(支那事変)に従軍。手榴弾を投げさせられたことから生命線である右肩を痛めた、また戦闘では左手を銃弾貫通で負傷、さらにマラリアに感染した。
復帰後はマラリアによって何度か球場で倒れたり、右肩を痛めたことでオーバースローからの速球が投げられなくなったが、すぐに転向したサイドスローによって抜群の制球力と変化球主体の技巧派投球を披露し、3度目のノーヒットノーランを達成した。
1944年シーズン開始前に巨人から解雇された。移籍の希望を持っていたが、鈴木惣太郎から「巨人の澤村で終わるべきだ」と諭されて現役引退となった。その後、南海軍から入団の誘いがあったが、固辞した。
現役引退後、1944年10月2日に2度目の応召(現役兵時代を含め3度目の軍隊生活)。同年12月2日、フィリピン防衛戦に向かうため乗船していた軍隊輸送船が、屋久島沖西方の東シナ海でアメリカ海軍潜水艦「シーデビル」により撃沈され、屋久島沖西方にて戦死。特進で任陸軍伍長。27歳没。
職業野球通算63勝22敗、防御率1.74。
戦死後の1947年7月9日、巨人は沢村の功績をたたえて背番号14を日本プロ野球史上初の永久欠番に指定した(戦死から永久欠番指定までの間、今泉勝義や坂本茂が巨人の背番号14を使用していた)。
また、同年に沢村の功績と栄誉を称えて「沢村栄治賞」(沢村賞)が設立され、プロ野球のその年度の最優秀投手に贈られることとなった。
引用元:ウィキペディア
沢村栄治が160キロで投げていたとう記事にネットの反応は?
2017/02/01 07:51
今となっては
憶測でないとわからないのが
残念です
あと
この方がずっともつべきだったのは
手榴弾ではなく、白球だったと思います
2017/02/01 09:03
2017/02/01 09:04
肩壊した結果
魔送球も生まれたんだと思うw
2017/02/01 09:09
2017/02/01 09:22
って言うでしょうねw
2017/02/01 09:24
球威がすごかったんじゃないかな。
2017/02/01 09:27
2017/02/01 09:33
2017/02/01 09:47
2017/02/01 09:47
2017/02/01 09:52
前にアウトデラックスで「160km出てた!でも誰も否定できないでしょ?」
とか言っていたのを見た気がする。
2017/02/01 09:54
2017/02/01 09:55
2017/02/01 09:55
正確に検証できるならともかくこういう精度の低い検証すると、160出てたかもしれないし150がせいぜいだったかも、みたいな話になってロマンもへったくれもない
2017/02/01 09:59
江川でも140キロ台前半の表示だったが、実際は152、3キロ出ていたんじゃなかろうかと、あの当時のスピードガン表示が怪しいと思うのは俺だけだろうか?
2017/02/01 10:01
戦争で野球人がお亡くなりになっています。
もう、
彼のように
手りゅう弾を投げるような野球人が出て来なくていいような
(戦争しなくていいような)
世の中になって欲しいという意味では、
反戦と結びつけてもよろしいんじゃないでしょうか!!
2017/02/01 10:04
今でも
球場によっては結構差があるようなことも聞きますよね。
神宮では数字が高めに出るとか・・・・
どこまでスピードガンを信頼して良いものか!!
2017/02/01 10:10
横から投げさせられるのよ
2017/02/01 10:10
2017/02/01 10:14
2017/02/01 10:15
当時の撮影技術は、動く物体を撮影すると、モーションが若干早送りになってしまうような技術力しか無かった。
当時の戦争や五輪の記録映像などを見れば一目瞭然だが、人間や車が走り回っている当時の映像は、明らかにモーションが早回し気味に感じられるはずだ。
沢村の球速も、つまりそういう事だ。
2017/02/01 10:18
だから、今でもスピードだけが、好投の基準にはならないと思うけど。
2017/02/01 10:22
あの時代に大谷翔平がいたとしても、白球より手榴弾を選んでると思いますよ。
2017/02/01 10:22
仰る通りですね。納得です。
江川もそうでしたよね。
彼の場合、
初速と終速の差があまりなく、
ホップするように見えた。なんて言ってました。
スピードだけじゃないんですね。
スピードだけなら
星野伸之投手・山本昌投手・和田毅投手なんて
そんなに勝てないはずですもん。
2017/02/01 10:25
しかも当時のキャッチャーミットで?
ちょっと信じられないな。
2017/02/01 07:40
2017/02/01 09:33
2017/02/01 09:36
2017/02/01 09:41
2017/02/01 09:41
スタルヒンや沢村は
2017/02/01 09:47
2017/02/01 10:10
2017/02/01 10:17
今年は、それを汚名返上出来るかな?
2017/02/01 10:17
カーブのキレが良かったと、何かの文献で読んだ記憶がある
つまり緩急が巧くつかえたんだろうな
途中から本気にさせたというのは、そうかもしれない
我々はスクールボーイに抑えられるために海を渡ったのか?
と大リーグベンチ内で言ってたとか、ホームラン打った、
ゲーリッグを皆が抱きついたという話も文献で読んだ
2017/02/01 10:18
2017/02/01 10:19
160km/hについては、直接対戦した故青田氏、故千葉氏などがテレビでコメントしているからね。当時150km/hの球を目視して、「それより速かったか?」と尋ねて、「明らかに速い」とコメントしてるから、あながちウソではないだろうね。
ただ、沢村氏も晩年は軍隊のイジメで重い手榴弾投げをさせられて、肩を壊したからね。軍隊というか、日本人の「やっかみ」ってのはロクなもんじゃないね。
2017/02/01 07:49
2017/02/01 09:46
ちなみに、江夏豊がオールスターで9連続奪三振を奪った際の最高急速は158.8km/h
どれもしっかりした映像が残っていたからこそ出せた数値。
2017/02/01 09:52
2017/02/01 09:54
投げてからキャッチャーミットまでの平均なら
映像の秒数と距離で計算できるんじゃないのかな
2017/02/01 10:00
2017/02/01 10:01
投げてからミットに届くまでの速さをフィルムの速度で割ってどうたらこうたら…って計算方法だったと思う。
でもこの方法だと古いフィルムほど出た結果の振り幅が大きくなるんじゃなかったっけ?
その結果沢村栄治の球速は145~160㎞/hの範囲ってことだった
可能性として160㎞/hもあり得たって話
2017/02/01 10:02
比較すべき。
個人的には160kmも出て無いと思う。せいぜい150km前後だろう。
打者には初速が140km程度でもスピンが掛かって伸びがあれば球速以上に速く見えるし、
緩急を付けて球速を速く見せることも出来る。
2017/02/01 10:05
2017/02/01 10:12
2017/02/01 10:14
140km/h台後半だろ
2017/02/01 10:17
2017/02/01 08:34
ただ、その時代でトップだった事実は事実なわけで、そんな人たちの歴史の積み重ねで今があり、今のトップがいる。それだけで十分素晴らしい。
2017/02/01 09:56
2017/02/01 07:06
2017/02/01 08:15
2017/02/01 08:35
稀代の天才投手なら160キロ出ていた可能性はあります。
2017/02/01 08:40
2017/02/01 08:46
沢村の「縦のカーブ」に手こずり、評価していた。ストレートは別に速いとか思われてない。
2017/02/01 09:00
2017/02/01 09:22
2017/02/01 09:24
科学者が映像を解析した結果160近く出てたのでは?って話で
そもそもの記事の内容とズレてると思います
2017/02/01 09:28
2017/02/01 09:31
2017/02/01 09:32
沢村が160キロって分析も怪しいと思います。
数字が残る競技では70年前の記録は全く通用しなくなってるのに、数字が残らない競技では過去の選手の方が現代より
凄かったっていう人多いですよね。
木村政彦、双葉山、なども史上最強と言われてますが、現代では通用しないでしょう。
記憶は美化されますからね。
2017/02/01 09:33
105マイル投手でもできない記録持ってんだから
そんなホラ吹かなくてもねぇ。
2017/02/01 09:33
2017/02/01 09:34
2017/02/01 09:39
140前後のスピードでキリキリ舞いだ。
まあ球のキレが半端ないが。
2017/02/01 09:41
当時の速球が現代の速球よりも速いという根拠は無いだろうが、切れが抜群に良かったからそう見えたのだろう。
「切れの良さ」と「スピード」は必ずしも比例するものではないからね。
2017/02/01 09:43
長島さんは145キロくらいかな
金さんの速球はと言っていた。
2017/02/01 09:43
2017/02/01 09:44
相当速かったと思う。
2017/02/01 09:50
でもいません。
この分析もおそらく120~160キロくらいのブレのある測定結果でしょう。
その昔スカイフィッシュというUMAがいて200キロ以上のスピードで飛んでるなんて分析した専門家がいたけど、なんのことはないただのハエだった。
沢村が偉大な投手だったことは誰もが認めることだけど、こういう尾ひれの付け方は間違ってると思う。
速球や変化球のキレがすごかった、と言う方がロマンがある。
2017/02/01 09:51
スピードガン。
当時はMax江川と小松で152kmだった。140前半の球速で速い方だった。
その後Maxも平均球速も上がっていき今に至る。
この歴史をリアルタイムで見てきた我々40代以上の人で、そんな事信じる人いないでしょう。
2017/02/01 09:58
小松や江川はもちろんだが
浅野、井原(ヤクルト)なんて地味な投手が150キロ超えてて
驚いた記憶がある。
2017/02/01 09:58
それで爺さん野球評論家が怒ってワシは150キロ以上で投げてたはずだ!とか怒ってた記憶がある
まあ当時130キロ台を出してた投手が現代に生まれてたら150キロ以上出してた可能性はると思うけどね
2017/02/01 10:07
そこそこ体が大きかったの
(金田184 別所182 杉下185 スタルヒン190)
で今の科学トレを
やらせたらかなりの球を放れたとは思う。
2017/02/01 10:15
90年頃にメジャー選抜に日本が4連勝したことがあって(その後三連敗)、当時ヘビー級とミドル級くらいに差が縮まったかなと言われていた。
でも、その後メジャー選抜に勝ち越したことないように思う。
2017/02/01 10:15
沢村が稀に存在する超人的な人間で160㌔投げる事が出来たかもしれないぞ
ただ160㌔を連発出来たとか思えないけどさ
2017/02/01 07:38
そもそも20年くらい前だと「155キロ出ていた」って言っていたような気がするし、仮にこれから165キロ、170キロ出す人が現れたらそれくらい出ていたと言い出すに決まってる。
2017/02/01 09:31
2017/02/01 09:40
小松が時々出す150キロに皆が狂喜し、147~149キロでも喜んでいた。
その頃は恐らく沢村さんも150以上でていたと言われていた気がする。
2017/02/01 09:44
なんでテレビでやってたって話しで、160キロっていったら反響こわいーって話しになるんかさっぱりわからんが、いちいちそんな反響怖がってんのか?大変やな。
2017/02/01 09:48
2017/02/01 08:32
2017/02/01 07:23
その類の話。
あと、老人の証言は年と共に大袈裟になるから信憑性なし。
2017/02/01 07:39
身長が大谷くらいあったとしても当時は筋トレそこまでしてなかったと思うので、良くて140キロ後半出てたら良いくらい。
20年前は左なら145キロ、右なら150でたらドラ1確定の時代だった。
それより昔の事だから流石に160はありえない。
仮に160出てたらメジャーで活躍してたでしょうね。
2017/02/01 08:04
沢村がメジャー相手に、全盛期で1ー0で負けてるが1失点は、すごい140キロ中盤まで出てたかもね。
2017/02/01 09:30
2017/02/01 09:32
2017/02/01 09:33
重要なのは空振りが取れて抑えられたって事実
2017/02/01 09:39
2017/02/01 09:47
2017/02/01 09:49
2017/02/01 09:50
2017/02/01 10:09
別に誰も突っ込まなかった。
何秒でもいい。私は祖父を含め戦争に行ったすべての男子を尊敬している。
2017/02/01 10:15
理解できん。
平成の現代の栄養学、スポーツ科学を全て
取り込んで、やっと大谷が160k
出せるのに、食べるものもない時代に
大谷と同じ球を投げられると信じるのは
無理が有る、と言うだけの話です。
2017/02/01 10:15
2017/02/01 10:16
その映像解析にどれだけの信憑性があると思っているのか。解像度も相当低く、基準となるものもない。そもそも、本当にちゃんと映像解析しているなら、正確に速度を算出できるので、はっきり160出ていますと言えるが、湯浅教授は160出ている可能性がありますと言っている。画像解析したにもかかわらず、可能性がありますって、画像解析する前となにも変わってないじゃん。
まぁ、確実な根拠もなくせいぜい140くらいというのは、たしかに良くないね。
あと、沢村投手がメジャーをおさえたことは事実で、それに対してはリスペクトしている。これとは全く別の議論ね。
2017/02/01 10:22
理解できん。
ついでに言っとくが、湯浅はこれで
飯を食べてる
野球専門の御用学者ですから。
2017/02/01 09:36
昔のコマ送りでは数値解析なんて誤差が大きすぎる。
もっと早いかもしれないし…けど間違いなく遅いと思います。
肉体は鍛えないといけないがスポーツとしての知識・分析では
格段に進化してる現代とは比べものにならない。